日本史通史14世紀

   

この記事では、通史学習のために、日本史14世紀の重要事項を取り上げます。14世紀には、全300の日本史通史上の重要事件のうち14個が含まれます。

通史の学習法と通史一覧:【予備校直伝】日本史の覚え方と通史学習の方法論

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日本史通史14世紀 1度は天皇が政権を奪うも、再び軍事政権へ!

※現在と結びつけやすいよう軍事政権と名づけていますが、日本史上は武家政権と呼びます。

日本史では、全時代を通じ、通史として覚えるべきできごとは300あります。14世紀には、14個の通史上重要なできごとがあります。

  • 2つ前の12世紀には、武士である平氏、続いて源氏が台頭し、初の軍事政権(正確には武家政権)である鎌倉幕府が誕生しました。
  • 13世紀には、軍事政権である鎌倉幕府が支配を強めますが、その崩壊も元(中国)の軍事的な圧力が引き金となりました。

14世紀は、鎌倉時代には野党的な立場だった天皇家が再度立ち上がります。後醍醐天皇は、2度の反乱を潰されますが、3度目の正直で政権を獲得します。後醍醐天皇が強気に出た背景には、13世紀の元寇のさい、十分な報酬を得られなかった武士の不満を知っていたからです。実際に3度目の反乱では、足利尊氏、新田義貞を味方につけ、反乱を成功させました。

しかし、建武の新政と呼ばれる天皇家の政権は長く続かず、足利尊氏に吉野へ追いやられ、南朝を立てることになります。この足利尊氏の反乱は、武士が公家(現在で言うと国家公務員)を尊重した建武の新政に対し、不満を持っていたことが背景にあります。結局、南北朝は足利義満の時代に統一され、室町幕府が成立しましたので、鎌倉幕府に始まる、武士が最も力を持つ軍事政権の流れは変わらなかったと言えます。一方で、天皇家を追いやる過程を経て、強引に成立した室町幕府もそれほど権威があったわけではありません。地方の武士である守護大名も力を持ち、非常に不安定な軍事政権が始まります。

※現在と結びつけやすいよう軍事政権と名づけていますが、日本史上は武家政権と呼びます。

日本史通史ベスト300 14世紀
1317 文保の和談,両統迭立へ
1324 正中の変
1331 元弘の変
1333 鎌倉幕府滅亡
1334 建武の新政
1335 中先代の乱
1336 建武式目制定
1336後醍醐天皇吉野へ,南北朝時代始まる
1338 足利尊氏,征夷大将軍就任,室町幕府成立
1350 観応の擾乱
1352 観応の半済令
1391 明徳の乱
1392 南北朝合一
1399 応永の乱

通史学習では、まず15分程度で、覚えるべきできごとの概要を学びます。日本史B講義の実況中継(1冊1296円)がおすすめです。

いま日本史B講義の実況中継をお持ちでない方はもちろん、読まれた方もまとめとして、以下のポイント解説講義で概要を確認してください。

日本史通史14世紀の学習方法

①20分間で、日本史B講義の実況中継や、下のポイント解説講義で、通史をつかんでください。10分間で読み終え、残り10分は、自分の言葉で大筋を再現するのがポイントです。

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【20分間】日本史通史14世紀の概要を理解する

日本史通史14世紀のまとめ講義は、元予備校日本史講師、現在トップクラスの進学校で先生をされている、宇都宮先生にお願いいたしました。

こんにちは! 宇都宮です。今回は14世紀の流れについてまとめます。13世紀には、元寇での恩賞が不十分で、貧しさに苦しむ御家人(武士)を何とかするため、鎌倉幕府は永仁の徳政令を出し、彼らの手放した土地を無料で取り戻させます。でも、これって逆に首を絞めてますよね。だって、1回借金踏み倒された相手にまたお金、貸します?? 私は貸せません。つまり、再び困ったとき、誰も御家人にはお金を貸してくれません。かえって、不満を募らせる御家人が多かったのです。

そこに登場したのが後醍醐天皇です。なお、この頃の天皇は、院政を行った場所によって持明院統と大覚寺統のふたつの統に分かれます。当時これらが交互に皇位についており(1317年に揉め、幕府が仲裁したのが文保の和談)、後醍醐は後者にあたります。さて、彼は1324年正中の変、1331年元弘の変と、鎌倉幕府打倒を狙いますが失敗します。それでも彼は諦めません!幕府に不満を持つ御家人を募り、再び挙兵します。このとき後醍醐に味方した足利尊氏が六波羅を攻め、新田義貞が鎌倉を攻め、そしてついに1333年鎌倉幕府は滅亡します。

その後、後醍醐は自ら政治の実権を握ります(建武の新政)が、これが公家偏重の姿勢だったので、武士たちは不満を募らせます。そんな中1335年、鎌倉幕府最後の執権高時の子・時行が挙兵します(中先代の乱)が、足利尊氏はこれを鎮圧します。ところが、彼はそのまま後醍醐に兵を向けたのです。後醍醐は吉野に逃れ、足利尊氏は持明院統から、別の天皇を即位させます。つまり、朝廷がふたつある状況になったのです。南北朝時代といい、室町幕府3代将軍足利義満が1392年に南北朝を合一するまで続きました。

足利尊氏は建武式目を制定して基本方針を示し、1338年北朝の天皇より征夷大将軍に任命され、室町幕府を成立させます。さて、室町幕府ですが当初は足利尊氏とその弟・足利直義(ただよし)による二頭政治の体制でした。ところが、その後尊氏が重用した執事・高師直と直義の関係が悪化し、最凶最悪の兄弟喧嘩に発展します(1350年~観応の擾乱)。直義が降伏、まもなく死去し(毒殺されたとも……)擾乱は終結します。擾乱の最中、1352年、観応の半済令が出されていました。これは国の年貢の半分を守護の収入としていい、というものでした。乱の最中ですし、幕府も管理しきれなかったのです。これは臨時のものでしたが、後に永続的なものになっていきます。そして、守護は国に対する支配力を強め、守護大名へと成長していくのでした。

でも、これってちょっとまずいのです。そもそも室町幕府自体、天皇に弓を引いた反乱軍ですし、鎌倉幕府のときのように偉大なるカリスマ性を持った源頼朝のような人がいるわけではない。守護大名が台頭してきたこの現状、彼らのパワーバランスの上に成り立つ脆弱な政権となっていきます。つまり、守護大名の誰かひとりでも頭抜けるとバランスが崩れます。幕府はそうなりそうな状況を見たら、潰していかないといけないのです。たとえば、山名氏は「六分一殿」と称されるほど、勢力を拡大していました。3代将軍足利義満はこれを挑発、乱を起こさせ、山名氏を滅ぼします(1391年明徳の乱)。また、明との交易で力をつけた大内氏も幕府に反乱を起こしますが、鎮圧されます(1399年応永の乱)。

日本史通史ベスト300 14世紀
1317 文保の和談,両統迭立へ
1324 正中の変
1331 元弘の変
1333 鎌倉幕府滅亡
1334 建武の新政
1335 中先代の乱
1336 建武式目制定
1336後醍醐天皇吉野へ,南北朝時代始まる
1338 足利尊氏,征夷大将軍就任,室町幕府成立
1350 観応の擾乱
1352 観応の半済令
1391 明徳の乱
1392 南北朝合一
1399 応永の乱

日本史通史14世紀の学習方法

②40分間で、下のチェックテストをくり返し行います。40分続けても良いですが、午前に20分、午後に20分のように分けると効果倍増です。チェックテスト3回目(1つのヒントで4つが数珠つなぎに言える)のマスターが目標ですが、暗記が得意な方は、完全暗唱まで持っていっても構いません。

1回目 2回目 3回目
1317 文保の和談,両統迭立へ 1317 文保の和談,両統迭立へ
1324 正中の変
1331 元弘の変
1333 鎌倉幕府滅亡
1334 建武の新政
1335 中先代の乱 1335 中先代の乱
1336 建武式目制定
1336後醍醐天皇吉野へ,南北朝時代始まる
1338 足利尊氏,征夷大将軍就任,室町幕府成立
1350 観応の擾乱
1352 観応の半済令 1352 観応の半済令
1391 明徳の乱
1392 南北朝合一
1399 応永の乱

【60分間】日本史の授業動画で、用語の知識を深め周辺知識を取り込む

日本史通史14世紀の学習方法

③60間程度の映像講義をうけ、記憶した重要事項の意味をよく理解します。ここでは枝葉の知識はつけず、重要事項を深く理解するだけで構いません。早い段階で枝葉をつけすぎた木は、翌日倒れてしまいます。まずは重要事項の内容を完璧に仕上がることに、注力しましょう。

以降、数日から1週間おきに、チェックテスト3回目をくり返し、興味に応じて映像講義を見て、教科書や参考書を読んでみましょう。自然に記憶の木が育ち、倒れにくくなっているはずです。

映像講義は、東進衛星予備校や河合塾マナビスでも構いませんが、全教科の1万本の動画が見放題となる、スタディサプリがおすすめです。スタディサプリでは、高3 スタンダードレベル日本史 - 第9講~第10講 が14世紀にあたります。

公式サイト:【スタディサプリ】動画授業で苦手を克服

通史の学習法:【予備校直伝】日本史通史の覚え方・まとめ方と通史勉強法


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